山本貴志×佐藤卓史 対談2017

(4) なに人ですか

なぜ日本人はこんなにショパンが好きなのか、その理由を考察。ショパンやリストが活躍した時代背景から、文化史全般まで縦横無尽に語り尽くす対談最終回。
山本
毎回あちらでインタビュー受けると、まず一番初めに聞かれるのが、なんで日本人はそんなにショパン好きなんですかって。ショパンはどの国でも知られてはいるけど、こんなに熱狂的な国民は。
佐藤
ポーランド人と日本人だけ(笑)
山本
そう、ポーランド人を除けば日本人だけだって。こんなに誕生日とか命日を大切にしているところもないし、だから何かしらやっぱり・・・。
佐藤
でもそれ、どう思う?
山本
それがね、いつも答えに困るんだけど、でもなんとなく、西洋音楽なのに、日本的な情緒みたいなものがね。それこそ、日本人がショパンを弾くと演歌みたいに聞こえるっていわれるけど、でももともと演歌みたいな要素があるからそう捉えられるんじゃないかと。
佐藤
もうそれは確かにそうだと思う。
山本
だからある意味それも正しいのかなって。そういう要素があるから、日本人に親しまれるところもあるし。
M氏
やっぱりあの「翳り」だろうね。
山本
ポーランド語に「ジャル」っていう言葉があって。
佐藤
ジャルね!
山本
日本の航空会社じゃなくてね。
佐藤
キーワード「ジャル」。なんともいえない概念だけど・・・。
山本
でもポルトガルにも「サウダージ」っていう言葉があるし、たぶんちょっと同じような・・・。
佐藤
いや、ちょっと違うんじゃないかな、ポルトガル人が考えているのとポーランド人が考えているのは(笑)
山本
確かに全然違うか、「ポ」しか合ってないからね(笑)。ポーランドとポルトガル、未だに間違えられたりするから。でも思ったよりも、ポーランドの人って全然明るい。
佐藤
そうなんだ。
山本
昔の辛い歴史があって、卑屈で暗くて、って思いきや、実際は日本人より明るいんじゃないかと。楽しみを見つけるのがうまい感じがする。
佐藤
ああ。
山本
冬でも、外に出たら凍りつくような時に、帽子と手袋の色を合わせて遊んでるとか。
佐藤
ああ、そういうのを忘れないんだね。遊び心っていうか。
山本
あと夏の間に採れる果物とかキノコとかを保存して、冬の間に楽しんでるとか。ネガティブなものを、ポジティブに変えるのがすごくうまいかなって。だからすごくパワーのある人たちかなって思う。
佐藤
ああそれはそうだろうね。いや僕はそのね、なぜ日本人がショパンが好きなのかについて、思ってることがあるんだけど。
山本
うん。
佐藤
時間感覚が違うんだと思うわけ。
山本
ああ・・・
佐藤
僕が芸高に入って最初に教わったのは、「ヨーロッパの音楽っていうのは、ずっと拍があるんです」って。だから、休符っていうと、僕らは「じゃーん、休み」って思うけど、休みじゃなくてそこに「1・2・3・んっ!」ってこう詰まってるものがある。その詰まってる感じがないから、日本人は拍感がないんだって言われると。
山本
はあ、なるほど!
佐藤
だから、ベートーヴェンでも、「たたたたーん」じゃなくて「(ん!)たたたたーん」っていう最初の休符の存在感がっていう、いつもの話。それがね、ショパンの音楽はいわゆる西ヨーロッパの音楽じゃないから・・・たぶんロシアの音楽もそうなんだよね、ロシア音楽も日本人大好きじゃない。
山本
うんうん。
佐藤
その東側の人たちは、なんかその、「んっ」っていうよりも、鐘の音が「ぼーん」って鳴ってその余韻をずっと聴くみたいな、その響きの移ろい方を聴くみたいな、そういう音の聴き方をしてるから。
山本
初めてしっくりきた。
佐藤
ずっと「1・2・3・4」ってカウントされるとちょっとうるさい感じがするんだよね。で、たまにショパンの曲で、特に高音域で「パーン」ってオクターヴとかで鳴るようなところ、たとえばスケルツォ4番の、「パーン」っていうあの1音ね。
山本
うんうん。
佐藤
僕はすごくあそこで感じるところがあって、その一瞬時間が止まる感じ。そこまではずっと拍があるんだけど、急に「あれ?」って。そういうところに日本人が惹かれる要素があったりするのかなって思ったりするんだよね。
山本
確かに。
佐藤
ソナタ3番の1楽章の8小節目かな? あそこの右手のオクターヴも同じ感じで、ふっと時間が留保されるような。きっとドイツ人だったら「1・2・3・4」って拍通りに弾かないと気持ち悪いんだよね。
山本
そうそう、そうだね。
佐藤
でも明らかにそうではないし。あと、もっと自由な曲だとスケルツォの2番の中間部とか。拍感のない即興というか。
山本
そう、ルバートもそうだけれど、本当に小節線のない感じがあるよね。でもね、ショパンって、指とか手首の関節が異常なぐらい柔らかかったらしくて、それもある種の特殊体質だよね。
佐藤
うんうん。
山本
だからその身体があって、そういう曲が出てきたのかなっていう気もするし。ポーランドの作曲家がみんなそうかって言われれば、違うかなと。
佐藤
あっ、それはそうかもしれないね。
山本
ただ、シマノフスキにはそういう気配を感じる。
佐藤
ああ、あるね。まあでもあの人はショパンにすごく影響を受けてるからね、それもあるのかも。
山本
シマノフスキも実は大好きなんだけれど。
佐藤
シマノフスキってすごく独特な人だなって思うのは、「誰々みたい」ってあんまり言えないかなっていう。僕の中ではね、「大作曲家」とそうじゃない作曲家を区別する基準があって、「誰々みたい」って他の作曲家に喩えられるような作曲家は大作曲家じゃない。「誰々みたい」の「誰々」のところに入ってくる人が大作曲家、という。
山本
なるほど。
佐藤
たとえば「ラフマニノフはチャイコフスキーをちょっと新しくしたみたいな」って説明できちゃうじゃない。とすると、チャイコフスキーはオリジナルだけど、ラフマニノフは一般には人気があっても、僕の基準では大作曲家ではない。そう考えると、シマノフスキって一般にはあんまり知られていないけど、誰とも似ていないし。
山本
比べる人がいない。
佐藤
そう。
山本
みんなに影響を与えてるのに、跡を継げてる人は誰もいないっていう。ショパンもそうだし。
佐藤
確かに。

佐藤
じゃあ、ちょっとだけ今度の演奏会の告知でも。
山本
それをしないと(笑)
佐藤
今度はデュオリサイタルとしては、・・・7年ぶり?
山本
7年ぶりだね。
佐藤
2010年以来なんだけれども。どんなことを言えばいいかな?
M氏
私たちの7年の歩みを見て下さいって(笑)
佐藤
でもねえ、7年間ずっと一緒にやってたわけじゃないからね。まあでも間に1回ブルッフのコンチェルトを一緒にやったことがあった。
山本
2台ピアノのね。あのときも面白かったね。
佐藤
それぞれ、7年の間に別の活動や勉強もして、だから前回弾いたモーツァルトとかチャイコフスキーとかも、以前とはまた違った演奏ができるかなと。
山本
あと初めて演奏するのは、さっき話が出たショパンのロンドと、それとシューベルトの連弾もご一緒できるからね。
佐藤
たまたまどっちも「ロンド」だね。でも、ショパンは若いときの曲だし、シューベルトは本当に亡くなる前、最後の年の曲で。でもどちらも楽しげな感じの曲だよね。
山本
明るい。良いことがあったのかな。あと、はからずもいろいろな国の作曲家を。
佐藤
といってもオーストリアとポーランドと、あと1名ロシア。
山本
(笑)3カ国周遊。
佐藤
そういえばポーランドのショパン以外の作曲家の作品も。
山本
あんまり頻繁に弾かれる作品ではないから。
佐藤
たとえばルトスワフスキとかグレツキとかの曲は、向こうで演奏する機会があったりする?
山本
ルトスワフスキは何回かあって、エチュードとか。
佐藤
ああ、はいはい。
山本
だけれど、グレツキはソロでは。
佐藤
グレツキってそもそもピアノソロの曲ってあるのかね。シンフォニー以外はあんまり知らないよね、一般的には。
山本
本当に現代の作曲家。
佐藤
でもポーランドはすごく、現代音楽が盛んだったから。珍しいよね、旧東側の国としては。
山本
珍しい。だからね、もちろんショパンを弾けば喜ばれることは確かだけれど、あんまりプログラムによって「聴きたい」とか「聴きたくない」とかいわれることはほとんどない。そういった意味でも、視点は割とグローバルでね。そういえばね、ショパンも「生まれはポーランドで、活躍の場はフランスで、その才能は全人類のもの」っていう言葉があるみたいで。
佐藤
(笑)なるほど。
山本
当時の音楽の中心から全く離れた出身なのに。
佐藤
いや、それも面白いなって思うのが、リストもそうじゃない?
山本
リストもそう。
佐藤
だから、当時パリの人たちからすればもう東の果てみたいなところから、リストがやってきて、ショパンがやってきて、びっくりしたんだろうね、きっと。
山本
ほんとに。今でいうところのお国自慢じゃないけど、そういう音楽ばっかりを要求されたのかもしれないし。
佐藤
そうだよね、だからマズルカだとか、ハンガリー狂詩曲だとか、そういう感じで売ってたのかなって。
M氏
やっぱり新しいものが好きだったんじゃない?
佐藤
それはもちろんそうですよね、エキゾティシズムみたいな。でも二人とも、一方の親しかその国の出身じゃないんだよね。
山本
そう、それが不思議。ショパンはお父さんがフランス人だし。
佐藤
リストも半分以上ドイツ人だよね。だからそのハーフ具合っていうか、ミクスチュア具合も、ちょうど良かったのかも。本当に生粋のポーランド人がパリに出ていったら、ちょっとあまりにも受け入れられなかったのかもしれない。
山本
うんうん。
M氏
ねえ、今だったら飛行機でぽんと飛べるけども。
山本
そう、当時はもう、一度行ったら帰って来られないぐらいの。
M氏
だって電車だってないでしょ、汽車もない。
佐藤
汽車ないですね。
M氏
馬車で行くわけでしょ。
佐藤
でもあのさ、アルカンの「鉄道」って曲があるってことはアルカンは鉄道見てるんだよね。
山本
ふーん。
佐藤
じゃないかなあ? アルカンってショパンと同じぐらいの歳だよね?
山本
同じぐらい。どこで見たんだろう?
佐藤
すっごい速い曲。
山本
速い曲(笑)
佐藤
そうそう、なんかね、昨日、N響のマロ(篠崎史紀)さんとリハーサルやってて聞いたんだけど、ウィーンの音大で音楽史の授業を取ると、ドヴォルジャークはなに人ですかって聞かれる。で、チェコ人ですっていうと、違いますと。彼はオーストリア人ですと。彼が生まれたのは大オーストリア帝国で、死んだのはオーストリア=ハンガリー帝国だから、国籍はオーストリア人。
山本
なんたるこじつけ(笑)
佐藤
でも、だからこそ彼はチェコの音楽を書いたんだと。オーストリアの中に取り込まれた一民族だからこそ、他の人たちにもわかるようにチェコの音楽を書いたのであって、ずっとチェコが独立していたら、そんな音楽を書こうと思わなかったに違いないと。
山本
確かに。
佐藤
だからたぶん、あの頃のね、他の東欧とか、周辺国から来た人たちはみんなそんな感じのものがあったのかもなって。
山本
やっぱり何かしら障碍がないと、そういうところに目がいかないのかな。だから、日本の作曲家の方も、日本の音楽はあんまり書かない。
佐藤
まあ一時期は書いてた人いて、それこそ伊福部とか、芥川也寸志とか、だから昭和初期っていえばいいのかな? 日本民謡とか、舞曲みたいなものを素材にした、ストラヴィンスキーとかバルトーク的な感じの音楽をやろうとしてたけど、もうあれも最近はなくなったよね。
山本
日本だけで生きていけるぐらい、国としてはちゃんとしてるからね。
佐藤
占領された経験もないし、そうするとやっぱり日本の音楽を残そうとか発信しようとかいう意識は薄いのかもっていうような、昨日もそんな話をしてたんだけど。
山本
オーストリア人・・・(笑)すごいね。
M氏
ハプスブルク帝国ですよ。
佐藤
その頃は本当にね、黄金時代だった。
M氏
でもさ、それこそさっきのマズルカよりウィンナ・ワルツのリズムの取り方のほうが、よっぽど「これはウィーンの人間じゃないと」っていう。
佐藤
いや、あれも不思議なもので、生粋のウィーンの人たちの演奏を聴くと、あんなに訛ってない。「んじゃっちゃー、んじゃっちゃー」なんて全然やらないの。
山本
やっぱり(笑)そうなんだよね。
佐藤
歌劇場で「こうもり」とか聴いてると、意外と普通の3拍子なんだよね。それをなぜか他の国では「ほら、ウィーン風でしょ」みたいに訛らせて。不思議なもんだよね。
M氏
我々が大阪弁のまねをするようなものだよね。
佐藤
そういうことなんでしょうね。訛りを誇張して。
山本
滑稽なんだろうね、きっと。
佐藤
まあこんなところで、いいのかなあんまり演奏会の告知してないけど・・・。では皆さんよろしくお願いします。こんなので大丈夫かな?
山本
ねえ、こんな感じで。
佐藤
ありがとうございました。
(対談完・2017年4月13日、さいたま市にて)
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