新春特別企画2015 Vol.2 東欧・北欧の作曲家たち
カール・ゴルトマルク Karl Goldmark (1830-1915)…没後100年
ハンガリー生まれのユダヤ人作曲家。はじめショプロンの音楽院でヴァイオリンを学び、やがてウィーン音楽院に留学するが、1848年の革命で音楽院が閉鎖され、劇場のオーケストラでヴァイオリンを弾きつつ独学で作曲を習得。
1875年歌劇「サバの女王」が大成功を収め、一躍人気作曲家となる。ユダヤ人でありながらウィーン初のヴァーグナー協会の創立に関わった一方、ブラームスに高く評価され、後に親交を結ぶ。
文筆業でも活躍したほか、ウィーン音楽院で教鞭を執り、シベリウスやフランツ・シュミットを教えた。代表作に交響曲「田舎の婚礼」、ヴァイオリン協奏曲第1番など。
音楽の世界では多くのユダヤ人が活躍していますが、私自身ユダヤ人の師に教わった間、その圧倒的な知性と発想の豊かさには感嘆を禁じ得ませんでした。
師匠曰く、その知的なトレーニングはユダヤ教の伝統に基づいているそうで、ハッザーン(ユダヤ教の礼拝先唱者)の家に生まれたゴルトマルクも、幼時から頭を鍛えられたのではないかと思われます。
だからこそ、劇場での演奏経験だけをもとに独力で作曲を試み、成功を収めることができたのでしょう。
彼の作風はドイツ音楽の伝統を底流に持ちながら極めて個性的なもので、その豊かな内容に比して演奏機会に恵まれていないようです。
ちなみに彼の弟レオはユダヤ人迫害から逃れるためアメリカに渡り、その息子ルービン・ゴルトマルクも作曲家になってドヴォルジャークに師事、後にジュリアード音楽院でガーシュウィンやコープランドを教えています。
カール・ニールセン Carl Nielsen (1865-1931)…生誕150年
デンマークを代表する作曲家。父の率いる軍楽隊で金管楽器を吹いて音楽に親しむ。1884年コペンハーゲン音楽院に入学、ゲーゼに作曲を師事。
卒業後は王立劇場でヴァイオリンを弾きながら創作活動を行い、1908年には前任者スヴェンセンの引退に伴い指揮者に就任。後年は母校でも教鞭を執った。
伝統的な対位法や民族的主題をベースに、多調などの進歩的な技法を採り入れた独特の作風を確立、グリーグ、シベリウスと並んで最も重要な北欧作曲家とされている。
代表作に「4つの気質」「不滅」をはじめとする6曲の交響曲、オペラ「サウルとダヴィデ」「仮面舞踏会」など。
自身シンフォニスト(交響曲作家)だったシベリウスはニールセンについて「生まれながらの交響曲作曲家」と絶賛していますが、シベリウスや先達グリーグと比べると知名度は今ひとつ、といったところかもしれません。
国民楽派の作曲家としては作風が進歩的すぎたようで、生前に祖国デンマークで大衆的人気を獲得できなかったことが災いしているとも言われます。
確かにいささかとっつきにくい印象は否めませんが、20世紀後半に評価が進み、交響曲は世界的に重要なレパートリーとして認められるに至りました。
今日は初期の小品をお聴きいただきましょう。
ジャン・シベリウス Jean Sibelius (1865-1957)…生誕150年
フィンランドの作曲家。はじめヴァイオリニストを目指したが、ほどなく作曲に転向、1885年からヘルシンキ音楽院で作曲を学び、1889年ベルリンに留学した。
1891年、最初の交響曲「クッレルヴォ交響曲」で作曲家としてデビュー。 1900年の交響詩「フィンランディア」が大成功を収め、フィンランドを代表する民族主義作曲家の地位を確立した。
1904年ヘルシンキ郊外に、妻アイノの名を冠した邸宅「アイノラ」(現シベリウス記念館)を建て、以降の生涯をここで送った。
1925年の交響詩「タピオラ」を最後に重要な作品は発表せず、1957年に脳出血のため91年で死去。
代表作は前述の作品の他、7曲の交響曲、交響詩「トゥオネラの白鳥」、「悲しきワルツ」などの民族的主題に基づく管弦楽曲、ヴァイオリン協奏曲など。
このサイトを開設して第1回のアニヴァーサリー企画で取り上げたシベリウス、前回は没後50年、今回は生誕150年ということで、いかに長命だったかがわかろうというものです。
しかしその人生の最後の3分の1はほとんど活動していなかったため、戦後まで生きていたわりに古臭い作曲家、という印象を持たれてしまったことも否めません。
大規模な管弦楽曲で人気を得ていますが、ピアノ小品や歌曲にも佳作が多く、一部は最近頻繁に取り上げられるようになってきました。
そんな人気小品のひとつ、2007年の特集でも掲載した「樅の木」を新録音でお届けします。