新春特別企画2015 Vol.1 ロシアの作曲家たち

ラモー
セルゲイ・タネーエフ Sergei Taneyev (1856-1915)…没後100年
ロシアの作曲家。9歳でモスクワ音楽院に入学し、チャイコフスキーに作曲を、ニコライ・ルビンシテインにピアノを師事。音楽院開校以来初の「特別金メダル」を得て卒業し、 ピアニストとしてデビュー。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のモスクワ初演を担当するなど活躍した。チャイコフスキーの後任として1878年に母校教授に就任、 作曲とピアノを教え、門下からはグラズノフ、ラフマニノフ、スクリャービン、メトネルらが輩出。アカデミックで厳格な音楽を追求し「ロシアのブラームス」の異名を取った。 1915年、門下生のスクリャービンの葬儀に参列した際に肺炎にかかり、心臓病を併発して死去。代表作にオペラ「オレステイア」、4曲の交響曲、多数の室内楽曲など、またチャイコフスキーの未完作品の補筆や対位法の理論書でも広く知られている。
今日は、互いに師弟関係のある3人の作曲家をご紹介します。ロシアは大作曲家が教師となって後進を育てる伝統を定着させ、短期間で音楽大国へと上り詰めました。 チャイコフスキーの一番弟子にして後継者でもあったタネーエフは、その学術的見識の高さで旧師からも一目置かれ、彼の作品に対する率直な評価を直接述べることを許された唯一の友人でした。 いつもそれを感謝して傾聴するチャイコフスキーでしたが、自信作のときにはタネーエフの評価を聞くのが怖かった、と打ち明けています。 本当はブラームスが嫌いだったにもかかわらず「ロシアのブラームス」と呼ばれた厳格な作風の一方で、なんと作家トルストイの妻と浮気し、 トルストイの「クロイツェル・ソナタ」執筆の動機になるスキャンダルの張本人だったというのは興味深いところです。
play タネーエフ:エレジー [2:41] 詳細情報

グルック
アレクサンドル・グラズノフ Alexander Glazunov (1865-1936)…生誕150年
ロシアの作曲家。13歳で作曲を学び始めるとたちまち頭角を現し、「五人組」のバラキレフやリムスキー=コルサコフに注目される。 16歳で発表した「交響曲第1番」に激しく感銘を受けた豪商ベリャーエフは、グラズノフやその周囲の作曲家たちのパトロンになることを決意し、自ら楽譜出版社を設立しロシア音楽の国際的普及に尽力。 その庇護下に集まった「ベリャーエフ・グループ」の中でグラズノフは中心的な役割を果たし、世界的名声を確立した。 1899年ペテルブルク音楽院教授、1906年にはリムスキー=コルサコフの後を継いで院長に就任し、続く革命期の混乱の中、学校改革と教育水準向上に砕身。 しかし急進派からの糾弾に疲弊し、1928年パリに亡命、7年後に70歳で死去した。保守的な作風だが、「五人組」の民族主義と西欧派のアカデミズムを融合させた重要な存在と認められている。 代表作に交響詩「ステンカ・ラージン」、8曲の交響曲、バレエ音楽「ライモンダ」「四季」、ヴァイオリン協奏曲など。
タネーエフの交響曲のピアノ版を、隣室から一度聴いただけで完全に記憶して、作曲者の前で演奏してみせたという天才少年グラズノフ。 ボロディンの歌劇「イーゴリ公」序曲も、一度限りのピアノ演奏を元に再現したものとされていますが、実際には「ボロディンに似せて作った自分の作品」だと後に暴露したそうです。 そんな素晴らしい才能を持ちながら、大作曲家と言えるほどの作品を残せなかったのは、激動の時代の音楽院院長の職務に忙殺されたためか、あるいはその重圧から逃げるようにアルコールに溺れたせいなのかもしれません。 パリからの訃報を聞いた人々は、「時代遅れ」のグラズノフがまだ生きていたことに驚いたようですが、生き生きしたファンタジーに満ちた音楽は今も魅力を失っていません。 チャイコフスキー風のショーピース「ワルツ」をお聴きいただきましょう。
play グラズノフ:ワルツ 作品42-3 [3:02] 詳細情報

C.P.E.バッハ
アレクサンドル・スクリャービン Alexander Scriabin (1872-1915)…没後100年
ロシアの作曲家。幼少期からピアノを学び、モスクワ音楽院で作曲をタネーエフ、アレンスキーに師事。はじめピアニストとして嘱望され、 ラフマニノフに次ぐ「小金メダル」を得てピアノ科を修了するが、無理な練習で手首を故障し作曲に専心するようになる。 初期にはベリャーエフの庇護を受け、主にピアノ曲を発表していたが、象徴主義哲学への傾倒から音楽芸術が神秘的な力で世界を変革する可能性を信じ、より大規模な作品の創作に挑戦。 1904年愛人とともに出奔し西欧各地を転々とする間、神智学に触れ終末思想に共鳴。1910年に帰国後も演奏旅行の傍ら精力的に創作を続け、究極の総合芸術儀式「神秘劇」を構想するが、 上唇の虫さされが元で敗血症を起こし道半ばで急逝。独特の官能的な音響は、ヴァーグナーの延長線上にドミナント和音を拡大する中で生まれたもので、 有名な「神秘和音」のほか全音音階や8音音階など特殊な音組織を用い、シェーンベルク・ドビュッシーとともに調性を脱却した先駆的作曲家と見なされている。 代表作に9曲のピアノ・ソナタ、「詩曲」という風変わりなタイトルの曲種をはじめとする多数のピアノ小品、交響曲「法悦の詩」「プロメテ」など。
先進的な作曲技法で評価されているスクリャービンが、ほとんどオカルトに近い誇大妄想に取り憑かれていたことは、現代の人々を困惑させており、母親不在という幼少期のトラウマによる精神異常だったのではないかという説まであるほどです。 しかしスクリャービンは、こうした神秘思想を音楽で表現するために新しい技法を編み出したのであって、その2つを切り離すことはできません。 人間の精神の力を信じ、その解放を目指した彼の音楽は、内面を軽視しがちな現代においてこそ輝きを増すような気もします。 すべてのジャンルを網羅した作曲家ではありませんが、もともとピアニストだったこともあって、ショパンやリストの影響から出発したピアノ曲を大量に残しており、ピアノ弾きにとっては重要な作曲家のひとりです。 8年前に演奏した「ソナタ第4番」の音源、初公開です。
play スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第4番 嬰ヘ長調 作品30 [7:07] 詳細情報
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