山本貴志×佐藤卓史 対談2008
(1) 二日酔いのときは。
5年間にわたるワルシャワ留学を終えて帰国、長野市のご実家に滞在中の山本貴志君にお話を伺いました。
ピアノを始めたきっかけや、ポーランドに留学することになった理由など、まずは真面目な話から。
- 佐藤
- 山本君に会うのって2年半ぶりぐらいかな? ショパンコンクールのとき以来だよね。
- 山本
- そうだよねー。ああ、最近太ったって言われるんだけど…そう思う?
- 佐藤
- そうなの? そんなことないと思うけどなぁ。
- 山本
- ホント? でもね、確かに、一番痩せていたときに比べると10kg太ったんだよね…
- 佐藤
- そんなに??
- 山本
- うん。まあ最初がちょっと痩せ気味だったということもあるけれど。
- 佐藤
- 一番痩せてたときってちなみにいつなの?
- 山本
- えーと、5年前。
- 佐藤
- 5年前。え、じゃあ留学し始めた頃?
- 山本
- そうだね。あのね、留学し始めてしばらくは減っていったんだけど、やっぱり環境の変化で。
- 佐藤
- うんうん。
- 山本
- だけど、それから元に戻ってきて、「あ、元に戻ったなぁ」と思ったらどんどんどんどん増えてきて。
- 佐藤
- あらららら。
- 山本
- いつの間にか昔の洋服が全部入らなくなっちゃって。
- 佐藤
- あはははは…
- 佐藤
- 今(2008年6月現在)は長野のご実家に滞在中ということだけど、長野市の生まれなの?
- 山本
- そう。長野市。
- 佐藤
- ピアノを始めたのは何歳ぐらい?
- 山本
- 4歳ぐらいかな。最初はヤマハの幼児教室に入って、それから桐朋学園の子どものための音楽教室に進んで。それは小学校3年生かな。
- 佐藤
- そうなんだ。最初ピアノをやり始めたのはご両親の影響とか?
- 山本
- それがね、両親は音楽とは全く関係がなくて。
- 佐藤
- あ、そうなの? 僕もそうなの。
- 山本
- そうだよね。家にピアノもないし、だから何だろう、たぶん幼稚園の歌の時間に先生がピアノを弾いていたのを見てやりたくなったんだろうね。
- 佐藤
- じゃあ自分からやりたいって言って。
- 山本
- そうだね。そういう感じだったかな。
- 佐藤
- それでそのまま桐朋の高校の方に。
- 山本
- そう、音楽教室からね。
- 佐藤
- 独り暮らししてたの?
- 山本
- そう。高校から。
- 佐藤
- ああそれじゃ大変だね。でも桐朋って男の子少ないでしょう?
- 山本
- 少ないから、クラスにあと1人しかいなくて。
- 佐藤
- あ、そうなんだ。クラスっていうのは何人ぐらい?
- 山本
- ええとね、僕たちの時には3クラスあったんだけど、35人ずつぐらいかなぁ。だから、全体としては結構人数多いんだけど。
- 佐藤
- 100人ちょっとっていう感じだね。
- 山本
- なのに、男子生徒は6人だけ。
- 佐藤
- うぉぉぉぉ。すごいねぇ。
- 山本
- 肩身狭くて本当にもう。
- 佐藤
- そうだろうね。僕は40人のクラスだったんだけど、1学年が。
- 山本
- 何人いた?
- 佐藤
- 男が14人。
- 山本
- 多いんだねぇ!
- 佐藤
- でも今なんかもっと多いけどね。ピアノ科って1学年に12人ぐらいなんだけど、僕らの学年はそのうち男が5人いて、 それが芸高始まって以来2回目だって話題になったのね。でも最近はピアノ科の男が1学年に8人とか。
- 山本
- 過半数だね。そんなに多いんだ。
- 佐藤
- うん。ええと、その高校の時に学生音コンに出たんだっけ?
- 山本
- そうそうそうそう。
- 佐藤
- それで、その頃桐朋の人から「今桐朋に山本君っていうすごい上手い男の子がいる」って話を聞いてて、「どんな人なのかなー」と思ってたら音コンの時に一緒で。
- 山本
- そうだったねー。
- 佐藤
- なんかそのときにさ、山本君がシューマンを弾いて、それでテレビのインタビューでシューマンの音楽がすごく好きでって言ってたのを見たけど、今でもやっぱりシューマンとか好きなの?
- 山本
- ああ、シューマンはそうだねぇ。ショパンもすごく好きなんだけど、ショパンって自分のしたいようにできないところがあって。
- 佐藤
- あそうなんだ。
- 山本
- 自分の感情をそのまま出すと曲にならなかったりとか、結構難しくて。
- 佐藤
- ああなるほどね。うむ。
- 山本
- シューマンってそういったところは意外と楽に弾けるというか。気持ちが何でも出せるから…
- 佐藤
- 自然に出せる感じなんだ。
- 山本
- そうそう。
- 佐藤
- じゃあ一番好きな作曲家っていうとその辺なのかな?
- 山本
- うーん。難しいね。…いろいろあるけれど、やっぱりショパンとモーツァルトって感じかな。
- 佐藤
- ショパンとモーツァルト。
- 山本
- うん。モーツァルトはね、お酒飲み過ぎて、二日酔いで「ああもう具合悪い」っていうときに聴くと結構早く治ったり。
- 佐藤
- (爆笑)なるほど。でもモーツァルトってショパンがすごく尊敬してたっていう。
- 山本
- そうだよね。
- 佐藤
- 似たような理想を持った作曲家だったのかなって感じがするんだけど。
- 山本
- そんなところがあるよね。
- 佐藤
- 高校の後にソリストディプロマの方に1年?
- 山本
- そう、1年ぐらい。
- 佐藤
- それでワルシャワに留学するようになったきっかけは?
- 山本
- 僕、初めて海外の講習会に行ったのがソリストディプロマの時だったのね。それまで一度も外国の講習会に行ったことがなくて。
- 佐藤
- そうなんだ。
- 山本
- 高校も終わって、ちょっと行ってみようかなって思っていろいろ雑誌を見ていたんだけど、ちょうどその雑誌の案内でショパンアカデミーの夏期講習の記事が目に止まって、それで面白そうかなと思って。 実はね、一番初めに、受ける先生って自分で指定できるんだけど、僕誰も知らなかったから、誰にすればいいのかも全然わからないし、とりあえず良さそうだな、 と思った先生の名前を書いて出そうと思っていたのね。でも、僕の先生、玉置先生に「今度受けに行こうと思っているんです」って持っていったら、 「あ、この先生がいいんじゃない?」ってアドヴァイスがあって。それがパレチニ教授だったの。
- 佐藤
- ああ、そうなんだー。
- 山本
- もしそれがなかったらポーランドに行っていなかったかもしれない。本当に誰もそのときは知らなかったから。
- 佐藤
- もともとポーランドに行きたいとかいう希望はあったの?
- 山本
- ショパンが好きだから興味はあったけれど、でもポーランドで勉強しようとは特に考えていなくて。
- 佐藤
- そうなんだ。
- 山本
- そのときは、いい先生がいれば、自分の中ではどこの国でも良かった。だからもしかしたら違うところに行っていたかもしれない。
- 佐藤
- そうか。じゃあ別にポーランドへのこだわりみたいなものはなかったんだ。
- 山本
- 最初は特になかったかな…。
- 佐藤
- それはいつぐらい?
- 山本
- たぶん2002年だったと思う。2003年に入学したから。
- 佐藤
- じゃあそれからもうポーランドに行く準備を。
- 山本
- そうだね。
- 佐藤
- なんか、ショパンコンクールの時にさ、山本君がポーランド語の取材にすごく流暢に答えているっていうのが話題になって、語学たくさん勉強したのかな、とか思って。ポーランド語ってすごい難しいでしょ?
- 山本
- 難しい。でも、日本人が訊かれる質問ってほぼ似通っていて。「なんでショパンは日本人にそんなに好かれているのか」とか、 「なんでポーランドに来たのか」とかそういう感じ。ただそういう抽象的な質問って結構答えにくいから…。
- 佐藤
- そうだよね。
- 山本
- 本当にインタビューのたびにいつも緊張していたよ。
- 佐藤
- 学校からどのくらいのところに住んでたの?
- 山本
- うちはもう学校の目と鼻の先。
- 佐藤
- あそうなんだ。練習はじゃあ学校で、それともうちで?
- 山本
- 練習はうちで。確かに学校にも練習室があるんだけど、寮に住んでいる学生は寮では練習できないから、いつもたくさん並んでいるの。
- 佐藤
- じゃあ学校ではあんまり練習できない感じなんだ。
- 山本
- そうだね。2時間並んで2時間しか弾けなかったり…。だから練習環境はあまり良くなかったかも。
- 佐藤
- じゃあ自分の楽器は向こうで買ったの?
- 山本
- うん。前に住んでいた留学生から譲り受ける形が多いんだけど、僕の場合は新しく借りた部屋だったから。
- 佐藤
- じゃあ新しく楽器屋さんから。
- 山本
- そう。
- 佐藤
- ちなみに何の楽器だったの?
- 山本
- ヤマハだった。
- 佐藤
- あ、ヤマハなんだ。
- 山本
- あのフィルハーモニーの近くにヤマハのショールームがあって。
- 佐藤
- はいはい。知ってる。
- 山本
- 今はもうあそこスタインウェイになっちゃったんだけど。
- 佐藤
- え、そうなの?
- 山本
- そうそう。変わってね…。
(つづく)