曲目解説 Program Notes
シューベルト:幻想曲 ハ長調 D760 作品15「さすらい人幻想曲」
シューベルトが1822年に作曲したこの大規模な幻想曲は、切れ目なく演奏される4つの楽章からなり、 その第2楽章に自作の歌曲「さすらい人」(D489)の旋律を引用していることから「さすらい人幻想曲」の名で親しまれている。 彼のピアノ曲は、「ソナタ」、「性格小品」(「即興曲」「楽興の時」など)、「舞曲」の3つのジャンルに大別されるが、 この「さすらい人幻想曲」はそのいずれにも収まらない、極めて特殊な作品である。4つの楽章はソナタの第1楽章・緩徐楽章・スケルツォ・フィナーレに相当するが、同時に冒頭の長短短のリズム(ダクテュルスと呼ばれる)が全曲を支配し、 強い統一感を作り上げているという点で、1つの動機から発展した単一楽章のソナタと考えることもできる。リストのロ短調ソナタを30年以上先取りした、驚くべき二重構造である。 またヴィルトゥオジティ(名人芸)への追求がこれほどまでに顕著なシューベルト作品は他に類を見ない。
作曲の翌年出版され、作曲者の死後の1832年にウィーン楽友協会ホールで初演された。 シューベルト歌曲のトランスクリプションを多く手がけたリストは、後にこの作品をピアノ協奏曲に編曲している。
第1楽章(ハ長調)は力強い主和音の連打で開始される。 全曲を強力に支配するこのリズムパターンはシューベルトが生涯にわたって特に好んだもので、 他の多くの作品でも使用されている。その後の展開は、ベートーヴェン的な主題労作ではなく、遠隔調への転調によって並列的に響きを変化させていく、 シューベルト独特のスタイルである。くつろいだ雰囲気のホ長調の部分でも、現れる主題はやはり冒頭と同じものである。 イ短調の劇的な部分を経て、突然変ホ長調、変イ長調といったフラット系の調性にシフトすることで幻想的な世界を作り出す。 雷鳴の如き激しいハ短調のクライマックスを迎えた後は、ダクテュルスのリズムを繰り返しながら次第に弱まり、第2楽章の深みへ静かに下りていく。
第2楽章(嬰ハ短調)は前述の歌曲「さすらい人」の旋律に基づく変奏曲。暗く悲しみに満ちた主題が提示された後、 ホ長調の安らかな第1変奏が奏される。続く第2変奏では低音の不気味なトレモロに導かれて、凝縮された感情が爆発する。 第3変奏は一転して嬰ハ長調に転調し、夢幻の境地へ聴き手を誘う。第4変奏の後半から右手に即興的な64分音符の音型が現れ、 これがやがて両手のユニゾンとなって大きな奔流を形作っていく。鋭い付点の和音連打でクライマックスが築かれ、最後の変奏では左手の分散和音に乗って遠くから主題旋律が響いてくる。
第3楽章(変イ長調)はスケルツォで、第1楽章の主題が3拍子に変型されて登場する。 ウィーン風のひなびた雰囲気に満ちた音楽は、まさにシューベルトの真骨頂と言えるだろう。 簡潔な中間部の後の再現部はすぐに新たな展開を開始し、大胆な転調と華麗な技巧を伴ってハ長調へ突き進む。
第4楽章(ハ長調)は、確固たる足取りの主題が低音部に提示されて始まり、対位法的に展開される。 やがて右手のアルペジオの導入に伴って技巧的な書法に変化し、トレモロとアルペジオを多用しながら華やかに進んでいく。 コーダでは分散和音が炸裂し、ヴィルトゥオジティを存分に発揮させて一気呵成に終幕を迎える。
(2006年3月23日「佐藤卓史 ウィーンの香り」プログラムに寄せて)
©2006 佐藤卓史 無断転載禁止
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