新春特別企画2013 Vol.3 東欧の作曲家たち

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ヘラー
ステファン・ヘラー Stephen Heller (1813-1888)…生誕200年
ハンガリー出身の作曲家、ピアニスト。生地ペシュト(現在のブダペスト)の小学校で初めて音楽に出会い、たちまち才能を開花させ11歳で協奏曲を演奏。 ウィーンに移りチェルニーやハルムに短期間師事したのち演奏旅行でヨーロッパ全土を巡った。アウグスブルクを経て25歳のときパリに移住、 大作曲家の主題に基づく大規模なパラフレーズや性格小品などを次々に発表。上品でしなやかな音楽性と表現豊かな作風でベルリオーズ、シューマン、リストらの注目を集め、 規範的な作品は各地の音楽院の教材に推奨されるなど、国際的な評価を獲得。晩年に至るまで創作意欲は活発だったが、後半生その名声は次第に薄れていった。 ピアノ曲を中心に160曲もの作品を書いたが、現在は「25の旋律的な練習曲」などの中級者用練習曲の作曲家としてのみ名を留めている。
1日目で紹介したアルカンと全く同じ生没年のヘラー。ピアノという楽器への精通ぶりは共通していますが、作風や受容のされ方は正反対と言えます。 過激で独創的なアルカンに対し、ヘラーの作風は、よく言えば品格が高く、悪く言えば「毒にも薬にもならない」感じ、後年はメンデルスゾーンやショパンの亜流と見なされるようになってしまいました。 しかし本人はおそらく穏やかで友好的な性格の持ち主だったのでしょう、音楽家仲間からの評価は挙って高く、各地の貴族や資産家からも寵愛を受けました。 今後「練習曲作曲家」だけではない、ヘラーの新たな側面に光が当たることを期待したいものです。
play ヘラー:練習曲 ト長調 作品46-6 [1:49] 詳細情報

ピエルネ
ダーヴィト・ポッパー David Popper (1843-1913)…没後100年
チェコ出身のチェリスト、作曲家。プラハ音楽院でドイツのチェリスト、ユリウス・ゴルターマンに師事。 20歳のときに敢行した演奏旅行で、指揮者ハンス・フォン・ビューローに認められる。1867年にはウィーン宮廷歌劇場(現在の国立歌劇場)の首席チェリストに着任するが、 ソロ活動の活発化のため6年で退団。1896年ブダペスト音楽院の教授に就任、同地で長年の共演者だったヴァイオリニストのイェネー・フバイと弦楽四重奏団を結成。 作曲家としてはチェロのための多数の作品を残したが、自身の演奏スタイルを反映した超絶技巧曲が多く、「40の練習曲」はチェリストの試金石として現在も人気が高い。 4曲のチェロ協奏曲のほか、サロン風の小品もたびたび演奏されている。
チェロという楽器じたいはバロック期から作られていましたが、現在のような演奏法が確立したのはわりに最近のことです。 18世紀の中頃までは、あの大きな胴体を肩からかけてヴァイオリンのように演奏していたらしいのですが、 さすがに重すぎたのか、やがて股に挟む演奏スタイルが主流となります。1800年頃からより豊かな響きを求めて改良が重ねられ、楽器の末端からエンドピンを立てて、 地面に重量と振動を伝える方法が考案されましたが、ポッパーは古風な伝統を重んじ、決してエンドピンを使わなかったと伝えられています。 脇を開いて自由自在に演奏するカザルスが登場したとき、ポッパーは否定的な見解を述べたようですが、そのような窮屈な姿勢であれほどの超絶技巧がどうして可能だったのかと不思議に思えてなりません。 代表作「ハンガリー狂詩曲」を、同郷秋田出身のチェリスト羽川真介さんとの共演でお聴き下さい。 リストの「ハンガリー狂詩曲」にも用いられた民俗舞曲チャルダッシュの有名なメロディーが途中で登場します。
play ポッパー:ハンガリー狂詩曲 作品68 [7:40] 〈チェロ:羽川真介〉 詳細情報

ルトスワフスキ
ヴィトールド・ルトスワフスキ Witold Lutosławski (1913-1994)…生誕100年
ポーランドの作曲家、指揮者。教養高い両親のもとワルシャワに生まれ、第1次大戦の戦火の下ピアノを学び始める。ワルシャワ音楽院でピアノと作曲を専攻。 第2次大戦従軍中ドイツ軍の捕虜となるが収容所への移送中に脱走、ワルシャワのカフェを拠点に友人アンジェイ・パヌフニックとのピアノデュオで活動。 この時期に初期の代表作「パガニーニ変奏曲」が誕生した。戦後活発な創作活動を開始、1954年の「管弦楽のための協奏曲」で注目を集める。 初期はポーランド民謡に題材を求めたが、後に独自の音程技法や偶然性を採用、論理的な構成と劇的な表現、色彩豊かでゴージャスな音響で多数の作品を制作。 1960年代以降、現代音楽界で確固たる名声を築いた。晩年まで世界各地を飛び回り多忙を極めたが、癌のため81歳で急逝。 代表作に4曲の交響曲、管弦楽のための「鎖」、チェロ協奏曲、合唱曲「アンリ・ミショーの3つの詩」など。
2回の世界大戦に翻弄されながらも、ルトスワフスキは現代音楽の分野で圧倒的な成功を収めました。 音楽じたいが優れていたのは言うまでもありませんが、ソヴィエト政府からの文化的抑圧に公然と抗議するなど、政治的な発言も積極的に行い、現代における作曲家のあるべき姿を示したという点でも、 ルトスワフスキはまさに時代の先駆けでした。祖国ポーランドでは多くの尊敬を集め、民主化以降2人目の最高褒章「白鷹勲章」を受章しています(1人目は前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世)。 今回は1992年のインディアナポリス国際ヴァイオリンコンクールの課題曲として作曲され、ヴァイオリンの現代曲レパートリーとして定着した「スビト」をご紹介します。 独奏は、3月7日にヤマハホールで共演する永井公美子さんです。
play ルトスワフスキ:スビト [4:59] 〈ヴァイオリン:永井公美子〉 詳細情報
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