新春特別企画2013 Vol.2 ドイツ・ブラジルの作曲家たち
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リヒャルト・ヴァーグナー Richard Wagner (1813-1883)…生誕200年
ドイツの作曲家。実父とは生後まもなく死別し、ユダヤ人の義父に育てられた。少年期から音楽に親しみ、ベートーヴェンに心酔して作曲家を志す。
歌劇作曲家を目指すもしばらくは芽が出ず、劇場指揮者を務めながら不遇の時代を送った。「リエンツィ」「さまよえるオランダ人」がドレスデンで好評を博し、
1843年同地の宮廷劇場監督に任命されるが、1849年のドイツ三月革命に連座した廉で指名手配されスイスへ逃亡。
総合芸術としての新しい歌劇の様式「楽劇」を提唱し、1859年の「トリスタンとイゾルデ」で新たな世界を築く。
1864年、ヴァーグナーに心酔するバイエルン王「狂王」ルートヴィヒ2世から突如招待を受け、王の後ろ盾を得てバイロイトに専用の歌劇場を建設。
1876年に落成し、25年以上にわたって書き続けた4部作「ニーベルングの指環」をここで初演した。イタリア旅行中にヴェネツィアで客死。
死後は妻コジマ(リストの娘)、息子のジークフリートらによってバイロイト祝祭音楽祭が運営され、現在も続いている。
文筆家としても知られ、ほぼすべての自作の台本を手がけた他、論文「音楽におけるユダヤ性」でユダヤ人を攻撃した。
代表作に上記の他、歌劇「タンホイザー」「ローエングリン」、舞台神聖祝典劇「パルジファル」など。
バロック時代の初めに誕生した「オペラ」。この言葉は元来「オーパス」(作品)の複数形で、その名の通り、いくつものアリア(歌)をレチタティーヴォ(語り)で数珠繋ぎにした、
楽曲の集合体でした。しかしヴァーグナーはこのような分節的なオペラのあり方に異を唱え、
劇の始まりから終わりまでを一続きの音楽にするという画期的な劇音楽「楽劇(Musikdrama)」を創始しました。
総合芸術としてのオペラを目指した彼は、舞台装置や演出にも徹底的にこだわり、その独特の美的感覚で「ワグネリアン」と呼ばれる熱狂的なファンを今もなお生み続けています。
ところが器楽曲には資質がなかったのか、凡作ばかり…。下にお聴きいただく「アルブムブラット」は、ピアノ曲の中ではマシな方ではありますが、
あの「トリスタン」の作曲家ならばもう少しなんとかならなかったのか、と思ってしまいます。
パウル・ヒンデミット Paul Hindemith (1895-1963)…没後50年
ドイツの作曲家、指揮者、ヴィオリスト。フランクフルト音楽院でヴァイオリンと作曲を学び、卒業後フランクフルト歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに就任。
第1次大戦後はベルリン音楽院で作曲を教える傍ら、ソロヴィオリストとしても活躍したが、ユダヤ人音楽家たちとの親密な交流などからナチスの標的となる。
1934年に歌劇「画家マティス」が上演禁止となり、これに指揮者フルトヴェングラーが猛反発(ヒンデミット事件)、ヒンデミットはトルコ・スイスを経て1940年にアメリカに亡命。
イェール大学で教鞭を執り市民権も得るが、1953年ヨーロッパに戻り、晩年は主に指揮者として活動した。
反ロマン派の新即物主義の代表的存在で、対位法を駆使した理論的な構築で20世紀の多くの音楽家に影響を与えた。
代表作に歌劇「世界の調和」、「ヴェーバーの主題による交響的変容」、7曲の「室内音楽」、ヴィオラ協奏曲「白鳥を焼く男」など。
さまざまな楽器の演奏に精通し、ほぼすべての主要楽器のための独奏曲、室内楽曲を残している。
ドイツ音楽は私のメインレパートリーなのですが、実は今回ご紹介する2人の作曲家はどちらも苦手なタイプで、どうもコメントに困ったな…と思っています。
とりわけヒンデミットは、ほとんど共感できる部分がなく…、作曲理論の堅牢さには恐れ入るのですが、なんだか「味のしない食事」を延々と食べさせられているような気分になってくるのです。
今回初めて演奏したヒンデミット作品は、「ルードゥス・トナリス」の中の1曲。12曲のフーガと、その間に挟まれた間奏曲、そして前奏曲と後奏曲の25曲からなる曲集で、
シェーンベルクの「無調」と袂を分かったヒンデミットの独自の作曲技法を縦横無尽に展開した実験的な作品です。
エルネスト・ナザレー Ernesto Nazareth (1863-1934)…生誕150年
ブラジルの作曲家、ピアニスト。ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受け、後にアフリカ系ピアニスト、リュシアン・ランベールに師事。
14歳で最初の作品を出版、カフェや劇場のピアニストとして活動を開始する。とりわけ1910年以降、生地リオ・デ・ジャネイロの映画館「オデオン」のロビーで活躍し、
その演奏を聴くために国外からも客が訪れた。しかし後年難聴に悩まされ、1929年に妻を亡くすと精神に異常を来す。
療養施設に保護されたが脱走し、森の中の滝で溺死体で発見された。約220曲にのぼる作品の大部分はピアノ曲で、
ブラジルの民俗音楽に根ざした創作姿勢から「ブラジルのショパン」の異名をとる。代表作に「オデオン」「赤ん坊」「ろくでなし」「がんばれカヴァキーニョ」など。
当時のブラジルでは、シリアスなクラシックピアニストを「ピアニスタ」、エンターテイナーを「ピアネイロ」と呼んで区別していたようですが、それでも両者の垣根はそれほど高くはありませんでした。
映画館の楽士仲間だったヴィラ=ロボスや、友人のブラジル赴任に同行していたミヨーなど、下の世代の作曲家たちに与えた影響ははかりしれません。
作品に冠された舞曲名、「タンゴ」「ポルカ」「ワルツ」などは、それほど厳密な定義ではなく「雰囲気を借用した」程度のものですが、
中でもアルゼンチンタンゴのスタイルが確立される前に「タンゴ」を名乗った作品群は、このジャンルの黎明期を今に伝えています。
今回は自動車のクラクションの音を模したという「フォン・フォン!」という楽しいタンゴをお聴きいただきましょう。