曲目解説  Program Notes

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」

 「そこらの犬や猫が生きているというのに、なぜガルトマンが死ななくてはいけないのでしょうか…」 (スタソフに宛てたムソルグスキーの手紙)
 ムソルグスキーは「ロシア五人組」のメンバーで、最も独創的な才能に恵まれた一人だったが、 そのあまりにも大胆な作風や放埒な私生活から周囲の無理解を被ることも少なくなかった。1870年頃、彼は国民芸術運動の指導者ウラディーミル・ヴァシーリエヴィチ・スタソフ(1824-1906)の紹介で、 建築家ヴィクトル・アレクサンドロヴィチ・ガルトマン(ハルトマン)(1834-1873)と知り合う。 ガルトマンは画業にも優れ、国民芸術の確立を目指す2人は互いの才能を高く評価して、唯一無二の親友となった。
 しかしこの友情は、ガルトマンの夭逝により突然の終焉を迎える。 ムソルグスキーはこの訃報を聞いて、2日間ベッドから起き上がれなかったと伝えられている。 冒頭に引用した手紙の悲痛な言葉からも、その落胆ぶりが想像できる。
 ガルトマンの死の翌年、スタソフの尽力によりペテルブルクで追悼展が開催され、400点にのぼる絵画やスケッチ、設計図が出展された。 この展覧会に足を運んだムソルグスキーが、そこで得たインスピレーションをもとに同年、つまり1874年の夏にわずか3週間ほどで作曲したのがピアノ組曲「展覧会の絵」である。 遅筆家のムソルグスキーにしては驚くべき速さであった。
 しかしこの曲集は作曲後日の目を見ることなく、7年後に作曲者はアルコールに溺れて孤独な死を迎える。 その遺稿を整理していたニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフ(1844-1908)は1886年、やはりスタソフの助力を得て「展覧会の絵」の出版にこぎ着けるが、 この出版譜にはリムスキー=コルサコフの手によって大幅な改変が加えられていた。 ムソルグスキーの書法が当時としてはあまりにも大胆で、一般には受け入れがたいと判断したためだとされている。
 そのリムスキー=コルサコフ自身が最初の管弦楽編曲を行って以降、「展覧会の絵」はさまざまな形にアレンジされたが、 最も有名なものは1922年のモーリス・ラヴェル(1875-1937)による管弦楽版である。 その華麗で色彩豊かなオーケストレーションは初演から大成功を収め、「展覧会の絵」の名を一躍世間に知らしめることになった。 20世紀後半になってようやく自筆譜に基づく原典版が再評価され、ピアノの主要レパートリーの仲間入りを果たしたが、 現在でもラヴェルのオーケストラ版に知名度の点で一歩劣る状況が続いている。
 曲は「絵」を題材とした10の標題音楽と、曲間にたびたび挿入される「プロムナード(散歩)」という名の間奏曲からなる。 ムソルグスキー独特の強烈な和声とリズム、沸き立つような幻想性とインスピレーション、 豪放で演奏至難なピアノ書法は他に類を見ない独創的なものだが、曲全体を通してひやりとするような一種の不気味さが漂っていることも無視できない。 それは親友に突然訪れた「死」という宿命的なモティーフが、この作品に影のようにべったりとまとわりついているからかも知れない。
 なおガルトマンの遺作展に出品された作品の多くは現在散逸してしまい、組曲の題材となった「絵」も、 確認されている数点を除いて実際に存在したのかどうかさえも判然としていない。 1991年に放送されたNHKスペシャル「追跡・ムソルグスキー“展覧会の絵”」では、作曲家の團伊玖磨(1924-2001)がロシアに渡り、 いくつかの未発見の「絵」を発掘するなど、大変興味深い内容が明らかにされた。 このときの取材成果は翌年「追跡ムソルグスキー『展覧会の絵』」としてNHK出版から出版され(現在は絶版)、 この原稿を書く上で重要な参考資料とさせていただいたが、この取材内容に関しては学術的見地からの反論も多く、 「絵」の問題は未だに解決していない。広く世に知られている割に、謎が多い作品である。

 プロムナード 5拍子と6拍子が交代する、堂々とした低音とのびやかな旋律線を持った序曲で組曲の幕が開く。
 第1曲「グノームス」 グノームスはロシアの伝説に登場するこびと。地底に住み、奇妙な格好で動き回るといわれている。 衝撃的な音型で始まり、やがて重々しい半音階で悲痛な足取りが描写される。
 プロムナード 穏やかな表情の中、ロシア聖歌を思わせる平行和音が聞こえてくる。
 第2曲「古城」 全曲を通してバスに主音が保続され、高声では悲哀に満ちた旋律が、低声では合いの手のようなリズミカルな動きが奏される。組曲中最も抒情的な1曲。
 プロムナード 自信に満ちた足取りで始まるが、すぐに弱まって次の曲へ移行する。
 第3曲「テュイルリー」 副題に「遊びの後の子どものけんか」とある。印象的な16分音符のパッセージが鍵盤上を転げ回り、 中間部ではほとんど調性が不明になるほどの急激な転調が行われている。テュイルリーはパリ中心部の有名な公園の名前。
 第4曲「ビドロ」 ビドロとはポーランド語で「牛車」の意味だが、そのような題名の作品は遺作展のカタログに掲載されていない。 前述のNHK取材班はビドロに「家畜、虐げられた人々」という意味があることから、ポーランドでの処刑の場面を描いた絵画を題材として挙げ、 当時の悲劇的な社会状況を密かに告発しようとしたのではないか、と推測している。低音を多用し、重々しい足取りで進んでいく一種の行進曲である。
 プロムナード 全曲の重苦しい雰囲気を引きずりながら慰めるように始まり、軽やかな次の曲を予感させる。
 第5曲「卵の殻をつけたひな鳥のバレエ」 バレエの衣装のデザインを原画としている。 装飾音が多用され、ちょこちょこと跳ね回るひな鳥の可愛らしい動きを描写する。
 第6曲「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」 裕福で傲慢なユダヤ人と貧しく卑屈なユダヤ人の、2点の肖像画を原画としている。 威圧的な前者のユニゾンと、金切り声のような後者の細かい音型が対比され、最後は前者の声に圧倒されて終わる。
 プロムナード 冒頭とほとんど同じ形で再現される。
 第7曲「リモージュの市場」 リモージュは磁器で有名なフランス中西部の都市である。 街の市場に集まった女性たちの機関銃のようなお喋りを描写した曲。激しい転調の末、祝祭的な両手の交互連打からそのまま次の曲へ続いていく。
 第8曲「カタコンブ」 古代ローマ時代、キリスト教徒が葬られた地下の墓所。現在もパリなどに残されており、 骸骨が四方にうずたかく積まれた非常に気味の悪い場所である。原画は3人の男がランタンを手にその中を調べている水彩画で、 その1人はガルトマン自身であるといわれている。衝撃的な最強奏と弱奏が交互に現れ、不気味な雰囲気を醸し出す。 続いて「死者の言葉をもって、死者とともに」という謎めいた題名の部分が現れる。これは右手にオクターヴのトレモロを伴ったプロムナードの変奏であり、 実質的にはこの組曲に現れる最後の「プロムナード」ともいえる。
 第9曲「バーバ・ヤーガの小屋」 スラヴの民話に登場する魔女バーバ・ヤーガは箒に乗って空を飛び、鶏の脚の上に住むといわれる。 その小屋をモティーフにした時計盤のデザインが原画。疾走するような激しい音型から始まり、印象的なファンファーレが鳴り響く。 トレモロを伴った静かな中間部を持つ三部形式で、最後は両手のオクターヴ連打からそのまま終曲へとなだれ込む。
 第10曲「キエフの大門」 1869年、キエフ(現在のウクライナの首都)にかつてあった凱旋門を再建するための設計コンテストが行われ、 これに応募したガルトマンの設計図をもとに作曲したもの。組曲全体を締めくくるにふさわしい壮大、絢爛たる終曲である。 高らかな響きの合間には、ロシア正教のコラールが遠くから聞こえてくる。やがて鐘の音とともにクライマックスを迎え、大音響をもってこの大作に幕を下ろす。
(2007年3月27日「展覧会の絵〜ロシアの作曲家の作品を集めて〜」プログラムへの初稿)
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