曲目解説  Program Notes

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」

 ベートーヴェンの32のピアノ・ソナタのうち、「熱情」と並んで中期の最高傑作と称えられる「ワルトシュタイン・ソナタ」は1803年から04年にかけて作曲された。 同じ時期には「熱情ソナタ」の他「クロイツェル・ソナタ」や「英雄交響曲」、歌劇「フィデリオ」などが生み出されており、ベートーヴェンの生涯のうちで最も充実した創作活動が行われている。
 このソナタの献呈者であり愛称の由来ともなったフェルディナント・フォン・ワルトシュタイン伯爵はベートーヴェンの最も初期のパトロンであった。 伯爵は1787年にこの作曲家と知り合い、1792年にベートーヴェンが故郷ボンからウィーンに旅立つときには、記念帳に「たゆまぬ努力によりハイドンの手からモーツァルトの精神を受け取るのだ」と書き記している。
 19世紀前半はピアノという楽器が凄まじい速さで進化を遂げた時期であった。 完成したばかりの新しいピアノを使って作曲されたこのソナタには、それまで見られなかった華麗な演奏効果を持つピアニスティックな書法が認められる。
 第1楽章(アレグロ・コン・ブリオ)はppの緊張感を伴う低音の和音連打に始まり、やがて爆発的に発展する第1主題、コラールを思わせる叙情的な第2主題から構成され、壮大な音楽が創り上げられていく。 活気に溢れた第1楽章の後には「導入部」(モルト・アダージョ)と題された短い内省的な音楽が挿入されている。 当初の構想ではここに入るはずだった第2楽章は、友人の忠告により却下され、「アンダンテ・ファヴォリ」(WoO.57)として別に出版された。 導入部に続けて演奏されるフィナーレ(ロンド、アレグレット・モデラート)の主題はアルプスの民謡から採られたと言われる美しい旋律で、ppの分散和音の上に提示される。 やがて音楽は盛り上がり、同じ主題がトリルを伴って輝かしく現れる。導入部からここまでの長く雄大なクレッシェンドの圧倒的な印象から、フランスではこのソナタを「曙」と呼んでいる。 ロンドはいくつかの短調の副主題、展開を挟んだのち、プレスティッシモのコーダに入る。 長いトリルやオクターブの音階など華麗な技巧を織り込みながら、歓喜を迸らせて力強く曲を閉じる。
(2003年7月12日「佐藤卓史ピアノリサイタル」プログラムに寄せて)
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